群馬方面にお仕事で行ったYさんよりまんほーるのふたの写真が届きました。
子持村農耕
こちらは渋川市の白井宿という昔の街並みが残っているところの絵柄のようです。
白井城の城下町として栄えた場所で、
吾妻川と利根川が合流し街道が四方に交差する交通、経済の要衝として軍事拠点の1つとなっていた為、
戦国時代には何度も白井城を巡り攻防が繰り広げられたそうです。


渋川下水
こちらは。
渋川市のスローガン?は”日本のまんなか 水と緑といで湯の街”。
渋川は日本のまんなかでいわゆる”へそ”にあたるのだそう(諸説あり)

渋川市が日本の真ん中と言われる理由は、
・西暦802年に東方遠征の途中で坂上田村麻呂がこの地を訪れ、
 日本の中心と決めへそ石を置き、それを村人が大切に信仰してきた、ということ。
・日本の最北端の宗谷岬と最南端の鹿児島佐多岬を線で結んだ中心点がちょうど  
 渋川市にあたること。
があげられるようです。

へそ地蔵というのもあるそうですよ。

Yさん、写真を送っていただきありがとうございました!

(YY)